日本シリーズ第3戦(11月2日/千葉マリンスタジアム)、千葉ロッテマリーンズ先発の渡辺俊介投手が完封勝利を収めた。
渡辺は昨季こそ味方打線の援護に恵まれなかったが、今季は8勝8敗。2大会連続でWBCに選ばれるなど、国際試合では日本の勝利に大きく貢献してきた。2004年、そんな渡辺に拙著をまとめる関係でインタビュー取材を申し込んだことがある。
2日の好投を見て、渡辺が当時話してくれたコメントを思い出した。
「僕はいきなり『行け!』と言われても、緊張しないタイプなんです(笑)。どちらかと言えば、福岡ドーム(当時/福岡 Yahoo!JAPANドーム)のようにお客さんがたくさん入っている方が燃えるし、地方の小さな球場だと気持ちが萎えてしまうときもあります」
大歓声、1球のミスが致命傷にもなりかねない短期決戦の緊張感、約1カ月ぶりの本拠地主催ゲーム…。アンダースロー対策で左打者を並べた中日打線にも物怖じしなかったのは、そんな“肝っ玉”のおかげだろう。
しかし、渡辺は俗に言う『野球エリート』ではなかった。大学まで『投手兼内野手』で活躍した父の影響で野球を始めたが、彼の記憶では「運動神経も優れていた2歳年下の弟の方に、父も期待していたみたいだった」という。子供のころに描いた将来の夢は、総理大臣、プロ野球選手、アイドル、オリンピック選手。そのうち『2つの夢』を叶えたことになるが、高校、大学、社会人でエースナンバーを付けたことはなかった。
「僕自身、行き詰まっているときでした。これ以上、ボールが速くなるわけでもなく、何かを変えなければと悩んでいました」
大学時代に巡り逢ったスポーツトレーナーの指導に衝撃を受けたという。同トレーナーは『バランス』の重要さを説いた。決して駿足ではなく、パワーのある方でもなかった渡辺は、「バランスに活路に見出すしかない」と直感した。立ち方、歩き方から修正され、身体の軸、体重移動など、ピッチングにおける注意点にも意識が高まった。平衡感覚を保つトレーニングは器具を使わなかったが、短期間でも疲れを感じさせるものだった。その効果を実感できるまで半年以上を要したが、渡辺は内外角のコーナーギリギリを掠る絶妙なコントロールを得た。
彼がインタビュー中に語ってくれた話のなかで、忘れられない言葉がある。「自分は不器用だから…」だ――。
「(自分は)決して器用な方ではありません。たとえば、西武の松坂大輔投手や巨人の桑田真澄投手は(当時)、どのポジションでもこなせるセンスを持っています。ウチの小林宏之なんかも、陸上やサッカーをやっていても、かなりのレベルまではいけたと思います。自分は中学でサードを1回守ったのが最後で、あとはずっとピッチャーでした。起用だといろいろなことが出来ちゃいますが、僕は不器用だから、ずっと一生懸命、ピッチャーをやってきたんです。不器用なのが幸いしたんでしょうね」
野球を教えてくれた父も「みんながやっているから自分もやりたい」という考えは、絶対に許してくれない人だったそうだ。「本当にオマエがやりたいんなら」という叱り方をしていた。
学生時代、試合に出られなかった日も多かった。不器用だから、一途に投手の練習を続けてきた。そして、自分自身で「何が必要なのか」を常に考え、実践してきた。プロに辿り着くまで遠回りをしたかもしれないが、その歩みが遅かった分、着実に地力を養うことができた。「不器用さ」は、アスリートの礎と化すことも出来るのである。(04年5月刊『マツイの育て方』より抜粋・改訂)
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- vol.1 「ドラフト会議」 (2010/11/11)
大学在学中からプロ野球、五輪スポーツの取材・執筆活動に入る。週刊大衆、週刊女性を経てフリーに。専属記者時代は二子山部屋を担当した。
近著は『マツイの育て方』(バジリコ出版)、『戦力外通告』、『同 諦めない男編』(角川ザテレビジョン/共著)、『プロ野球 最後の真実』(桃園書房)、『プロ野球 戦力外通告』(洋泉社新書/共著)、『猛虎遺伝子』(双葉社/共著)など。