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吉岡 雄二
1971年7月29日生まれ。
1989年帝京高校からからドラフト3位で投手として読売ジャイアンツに入団。
帝京高校時代はエースとして1989年夏の甲子園で優勝。全5試合に先発し3完封。41回を投げて失点はわずか1だった。高校通算で51本塁打を放ち、打者としての評価の方が高く「天才打者」と呼ばれていた。プロ入り後1年目に右肩を手術し、1992年のシーズン終了後、就任したばかりの長嶋茂雄監督の意向により内野手に転向。1994年はイースタン・リーグで本塁打と打点の二冠王に輝き、翌1995年からは1軍に定着する。1997年1月にトレードで近鉄バッファローズに移籍し、2年目の1998年には1塁手としてレギュラーに定着し、規定打席に未到達ながら13本塁打を放つ。翌1999年は初めて規定打席に到達し、チーム最多の12盗塁を記録する。2001年、同僚の中村紀洋と並び3本の満塁本塁打を放つなど、6番打者として勝負強いバッティングでパ・リーグ優勝に貢献。自己最高の26本塁打、85打点を記録した。翌2002年も26本塁打を放ち、全試合に出場。初めてオールスターゲームに選出された。2003年、5年連続で規定打席に到達し、初の打率3割をマーク。翌2004年11月、球団合併に伴う選手分配ドラフトで楽天に振り分けられ、同チームへ移籍。2005年3番打者として活躍し、2年ぶりに規定打席に到達し、チーム2位の52打点を挙げた。2007年9月11日、オリックス21回戦に途中出場し、プロ422人目の通算1000試合出場を達成した。現在は海外リーグで現役選手として活躍中。
「『プロ野球選手になりたい』。その一心で野球をやってきました。プロ野球選手になるためにはどうしたら良いのか、何をすればプロ野球選手になれるかを常に考えその中で、良い監督、コーチに出会い、たくさんのことを学びました。そして、私はプロ野球選手になることが出来ました。努力は嘘をつきません。努力をすれば夢は叶います。諦めず向上心をもって取り組みましょう。FBAで待っています」
真木 将樹
1976年2月13日生まれ。
1997年東京六大学・法政大学からドラフト1位で投手として近鉄バッファローズに入団。
福岡東筑紫学園高では3年春に選抜大会に出場し、8強に進出。
法政大に進むと1年の秋には東京六大学のベストナインに選出される活躍で、チームを優勝に導いた。大学通算25勝を挙げ、同じく28勝を挙げた川上憲伸のライバルといえる存在だった。
プロ入り後は1年目の1998年からローテーションに入り6勝、防御率3.89をあげる。
2001年にトレードで巨人へ移籍するが、2002年に戦力外通告を受けて退団。
翌2003年に独立リーグ・カナディアンベースボールリーグ・カルガリー・アウトローズに入団。先発として起用された。
現在はアルク有限会社 代表取締役として活躍中。
http://www.dream-next.jp/
「野球には正解はありません。選手一人一人、違った個性を持っています。私はそこを見分けることがコーチの役割だと思っています。私は引退してから、何度か野球教室に出向きました。しかし、野球教室では時間が限られていて、選手一人一人に丁寧に教えることができません。正直、私はそのような野球教室が嫌いです。私は一人一人ととことん向き合って野球を教えたい。そんな想いでこのFBAにいます。全力で教えます。皆さんも全力でぶつかってきてください!」
田中 良平
1982年11月18に生まれ。
2000年石川県立加賀高等学校からドラフト1位で投手として千葉ロッテマリーンズに入団。
石川県立加賀高等学校では高校生になってから投手に転向。
現読売ジャイアンツ内海哲也投手(敦賀気比高)とともに北陸三羽ガラスと呼ばれた。
プロ入り後3年目の2003年8月に一軍初登板を果たし、5試合に登板する。
140km/h台後半のストレートに威力はあるが、制球難克服のため2006年シーズンよりサイドスローに挑戦。
2008年10月1日、球団から戦力外通告を受け、メジャー挑戦のために渡米。
2009年ボルチモア・オリオールズとマイナー契約。同年からAAのボウイ・ベイソックスでプレー。
2010年AA ボウイ・ベイソックスに所属、メジャーに挑戦中。
「上達する選手とそうでない選手との違いは、野球を楽しめるかどうかだと思います。楽しむとは、ふざけることとは違います。打球を遠くに飛ばすことを楽しむ、速い球を投げることを楽しむ等、何でも構いません。練習の中には厳しく辛い練習もあります。しかし、その中にも楽しみを見つけてください。海外の選手は本当に心から野球を楽しんでいます。英語で試合のことを『GAME』と言います。『ゲーム=楽しい』そのような所から来ているのではないでしょうか。FBAで一緒に楽しみましょう。」
倉持 学
1978年10月21日生まれ。
2002年国士舘大学からドラフト1位で内野手として米独立サウスイースタンリーグ、ペンサコーラ・ペリカンズ入団。
国士舘大学卒業後、単身で渡米。
米独立サウスイースタンリーグ、ペンサコーラ・ペリカンズでは全試合、全イニングに出場し、リーグ優勝に貢献。
同リーグにてオールスターに選出、ゴールデングラブ賞受賞、盗塁王獲得。
翌2003年に独立カナディアンベースボールリーグ、カルガリー・アウトローズに入団。二塁手として活躍。
2004、5年とドイツプロリーグ、フルス・パイレーツにコーチ兼選手として入団。内野手、2軍監督、キッズ、ジュニアチームのコーチとして活躍。
2006、7年米独立リーグノーザンリーグ、カルガリー・ヴァイパーズに入団。二塁手として活躍、全試合、全イニングに出場し、リーグ優勝に貢献。
同リーグにてオールスターに選出、ベストナイン選出、新人王獲得。
2012年アリゾナウインターリーグ、ロングビーチ・アルマダの監督に就任。
現在は米独立アメリカンアソシエーション、エルパソ・ディアブロスのアシスタントコーチとして活躍。
「FBAには、自分も含め海外でも活躍した指導者が揃っています。日本だけではなく世界で通じる選手として野球を学ぶ場を提供することができるのです。野球に限らずですが、押し付けられての練習では身にはなりません。自分に“合う”と感じた手法、自分が“納得”した方法、自分で“考えて”実践する事を大切にしてください。そのための材料は野球経験の豊富なコーチ陣が惜しみなく提供します。世界へ羽ばたける野球人になりませんか、FBAで待ってます。」
秋山 真也
1977年生まれ 神奈川県出身
全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会(NESTA) 認定パーソナルフィットネストレーナー
日本幼児体育学会認定 幼児体育初級指導者
小学校3年生から軟式野球を始め、高校から硬式野球に転向。大学進学後は、4年間母校の神奈川県立高校で監督をつとめる。野球以外の競技としては、父親の影響でゴルフに熱中。
大学卒業後、一旦は社会人としての生活をスタートするも、ゴルフ熱が冷めやらず、ニュージーランドでゴルフ留学を経験する。しかしプロへの道は遠く、帰国した後にweb業界に転身。
仕事を通じて知り合った一人のフィットネスコーチを師匠に、トレーナーとしての勉強も開始。全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会(NESTA)が認定するパーソナルフィットネストレーナー(PFT)の資格を取得。現在は、自身の得意分野である野球とゴルフを専門とするフィットネスコーチとして現在活躍中。
「自分の身体に興味をもっと持ち、上手に身体をコントロールしてみましょう。それを覚えるだけで野球がうまくなります。運動には大切なコツがあります。『そのコツとは、いかに効率よく骨(コツ)を動かすか』ということです。意識が変われば身体も変わります。一人でも多くの方と会って、コツを伝授していきたいと思います。情熱あふれるプレーヤーを全力でサポートいたします!FBAでお会いしましょう。」